わたしの一番嫌いなところ −民報サロン寄稿文 2/5
わたしの一番きらいなところ
自分に対してまったくコンプレックスがない人は、ほとんどいないのではないでしょうか。僕自身、青春時代は人見知りで、プライドが高く、頑固で偏屈でした。かといって、周りのことなど気にしないくらいのメンタルを持っていたかというと、実際はその逆で、超がつくほどのネガティブな繊細さんでした。知らない人と初めて話す時は苦しくて仕方なかったし(笑)、好きな音楽やゲームも、周りのいわゆる「王道」から少し外れていて、話の合う人もほとんどいませんでした。何かを選ぶ時も他人と同じは嫌。でも周りを見ると、みんなが楽しそうに見えて、それを羨ましく思いつつ、「自分はこれでいいんだ」と言い聞かせて、また我が道を進む。そんな連鎖の中で生きていました。
こんな人間が、そのまま社会人になって、ある日突然「写真館をやります!」と言い出し、さらには新聞に寄稿するようになるとは、当時の自分が一番信じなかったと思います。せっかくの機会なので、今回は、自分自身の変化について振り返ってみたいと思います。
まず、二十歳になる頃には、自分のネガティブ思考に嫌気が差し始めていて、それ以降、少しずつ変えていこうと意識するようになりました。その起点となったのが、十九歳の時のオーストラリア生活です。知り合いは誰もおらず、サブウェイもメトロも、美里町の田んぼに囲まれて育った自分には恐怖の乗り物でした。ATMに三ドルしか残っていない日もありましたが、毎日が初めての体験で、一年後に帰国する頃には、「大抵のことは何とかなる」というマインドに変わっていました。
そして、最も直したかったのが人見知りです。人見知りだと楽しみが減るし、せっかくのチャンスを逃してしまうかもしれない。これを変えてくれたのも二つの出来事でした。一つはオーストラリアでの生活です。初対面の連続にさらされ、ハンマーで鍛えられるかのように矯正され、いつしか初対面へのストレスは減っていました。もう一つは親友の存在です。真夏の太陽のように明るく、迷惑なくらい眩しい存在。でも彼は誰にでも同じように接し、誰からも慕われていました。しかも、それを狙ってやっていない。そんな彼が、こんな自分も受け入れてくれたのです。彼の姿から学び、振る舞いを自分なりに落とし込むことで、人との接し方は少しずつ変わっていきました。
最後に、高すぎるプライドも必要ありませんでした。失敗を見せたくなかったし、ダサいと思われたくなかった。でも結局は、ほとんどが裏目に出ていました。見栄と自分の器との乖離は、いずれ必ず露呈します。プライドが不要だとは思いませんが、等身大の自分を出した方が、最終的には楽になる。そう思うようになってから、他人の評価もそれほど気にならなくなりました。
これらの短所は、今でもコンプレックスです。ただ、この経験と気づきがなければ、写真館を一人で経営することも、こんな文章を書くこともなかったでしょう。短所も使い方によっては武器になる。周りと同じことをしているだけでは生き残れない時代です。短所も長所も混ぜ合わせた自分の色で勝負していきたいと思います。
福島民報社 2026年1月29日付け 民報サロンに掲載
※福島民報社にweb掲載許可の確認済み













































